2005年 11月 20日
家族の風景(こっちを先で)
今は亡き父の借金を返しに行った帰り、僕はコンビニに寄ってピーナッツを一袋買った。 父がお金を借りた友人は病院に入院していた。もう先は長くないらしい。 彼が、父が借りたお金のせいで不幸になったとは考えたくなかったが、疲弊しきった彼の顔を見る限りでは、その可能性は高いように思えた。 やりきれない気持ちで胸がいっぱいになる。気付くとピーナッツの袋を強く握りしめていた。 いけないいけない。今日は借金から解放された、僕にとって喜ぶべき日なのだ。喜ぶべき時はしっかりと喜ぶ、簡単なことだけど、とても重要なことだ。 ピーナッツを見ると母を思い出す。母はピーナッツをはじいて食べるのが好きだったからだ。 手の中のピーナッツに向かって「ママ、僕喜んでいいんだよね」と尋ねたが、もちろん返事はない。 母が亡くなったのは、もう40年近くも前のことだからだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「ママ、ピーナッツをなんではじくですか?」 「うーん、大人になったら分かるかもよ」 幼い頃の僕は、いつも母といっしょだったように思う。 家には母の弟と妹、母の両親(つまり僕の祖父母)がいたが、僕は母のそばにいるのが一番落ち着いたのだ。 それだけに母が病気で入院したしまった時、ひどく落ち込んだのを覚えている。 母の病気はガンであった。 医者が言うには、母の容態はこれ以上良くなる見込みはなく、もってあと数か月ということだった。 日に日に弱っていく母。天真爛漫で近所の人気者だった以前の姿は、見るかげもなくなっていった。 「ねえ、私、ひどい病気なんでしょ?」 母はたびたびそう言って父に詰め寄ったが父はいつもそれを否定した。 「違うって。すぐに良くなって、いつもみたいに魚を食わえた猫だって追いかけられるようになるさ」 「そうかな」 母の弟もつけ加える。 「そうだよ姉さん、ガンなんかじゃないって!」 「ガン!?」 「いやいや全然、全然ガンなんかじゃないから!全然ガンなんかじゃないんだ」 父は母に生きる希望を失って欲しくない、そう思ったのだろう。それが正しい判断だったのかは今でも分からないが、明らかに母は自分の先が長くないことに気付いていた。 母はだんだん「死ぬ時は畳の上で死にたい」とこぼすようになった。家に帰るといつも父は泣いた。 ある日のことだった。 ペーパードライバーの父が大きな車を借りて、弱りきった母と僕ら家族全員を乗せて出かけた。 出発して4時間も走っただろうか。到着した場所は、山に囲まれた片田舎だった。田んぼと農道と新らしい家の他には何もない。 父が新築の家を指差した。 「どうだい?これから僕たちはここで暮らすんだ。空気もおいしいし、ここで暮らせば病気だってすぐに治るさ」 「あなた…」 母の妹が一瞬不服そうな顔を見せたが、母と目が合うと目をふせた。 僕たちは新築の家に足を踏み入れた。全室フローリングの、今までの家とは正反対の家だった。 「気に入ったかい?」 「ええ。でも外の風景とはアンバランスな感じなのね」 「君が『死ぬ時は畳の上で死にたい』って言ったからさ」 「え」 「これで死ねないっしょ?」 それを聞いた母は大きく笑った。 母の笑顔を見たのはいつぶりだろう。僕らもつられて笑った。 「でも、ほんとにここならもっと生きられそう。ピーナッツも食べれるし」 そう言って母は、病院では禁止されていたピーナッツを取り出し、空に向かってはじいた。 いつもより高い軌跡を描いたピーナッツは、母ののどの奥に吸い込まれていった。 母がうめくような声を出した。 「ンガッンッン」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ それが母の最後の言葉になった。 でも母の死に顔はとても晴れやかだったから、僕はそれで良かったのだと思う。 それに、ピーナッツをのどに詰まらせて死ぬのは、ガンよりよっぽど、おっちょこちょいの母に似合ってる。 僕は自分のピーナッツをはじいた。 スローモーションで上がってゆくピーナッツを追いかけて上を向くと、視界いっぱいに空が広がった。どこまでも続く青い空に、手が届きそうな白い雲。真ん中の雲は、まるで母の髪型のような形をしている。 空を見たのは、久し振りだった。 もしかしたら母は、ピーナッツをはじいてこれを楽しんでいたのかも知れないなあ。 僕は「ルールルルッルー」と口ずさみ、今日のいい天気に感謝した。
by taketoshinkai
| 2005-11-20 19:08
| うそ日記
|
ファン申請 |
||