|
カテゴリ
以前の記事
2006年 04月
2006年 03月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 2004年 11月 2004年 10月 お気に入りブログ
最新のコメント
最新のトラックバック
おすすめキーワード(PR)
ファン
|
2005年 11月 20日
家族の風景(こっちを先で)
今は亡き父の借金を返しに行った帰り、僕はコンビニに寄ってピーナッツを一袋買った。 父がお金を借りた友人は病院に入院していた。もう先は長くないらしい。 彼が、父が借りたお金のせいで不幸になったとは考えたくなかったが、疲弊しきった彼の顔を見る限りでは、その可能性は高いように思えた。 やりきれない気持ちで胸がいっぱいになる。気付くとピーナッツの袋を強く握りしめていた。 いけないいけない。今日は借金から解放された、僕にとって喜ぶべき日なのだ。喜ぶべき時はしっかりと喜ぶ、簡単なことだけど、とても重要なことだ。 ピーナッツを見ると母を思い出す。母はピーナッツをはじいて食べるのが好きだったからだ。 手の中のピーナッツに向かって「ママ、僕喜んでいいんだよね」と尋ねたが、もちろん返事はない。 母が亡くなったのは、もう40年近くも前のことだからだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「ママ、ピーナッツをなんではじくですか?」 「うーん、大人になったら分かるかもよ」 幼い頃の僕は、いつも母といっしょだったように思う。 家には母の弟と妹、母の両親(つまり僕の祖父母)がいたが、僕は母のそばにいるのが一番落ち着いたのだ。 それだけに母が病気で入院したしまった時、ひどく落ち込んだのを覚えている。 母の病気はガンであった。 医者が言うには、母の容態はこれ以上良くなる見込みはなく、もってあと数か月ということだった。 日に日に弱っていく母。天真爛漫で近所の人気者だった以前の姿は、見るかげもなくなっていった。 「ねえ、私、ひどい病気なんでしょ?」 母はたびたびそう言って父に詰め寄ったが父はいつもそれを否定した。 「違うって。すぐに良くなって、いつもみたいに魚を食わえた猫だって追いかけられるようになるさ」 「そうかな」 母の弟もつけ加える。 「そうだよ姉さん、ガンなんかじゃないって!」 「ガン!?」 「いやいや全然、全然ガンなんかじゃないから!全然ガンなんかじゃないんだ」 父は母に生きる希望を失って欲しくない、そう思ったのだろう。それが正しい判断だったのかは今でも分からないが、明らかに母は自分の先が長くないことに気付いていた。 母はだんだん「死ぬ時は畳の上で死にたい」とこぼすようになった。家に帰るといつも父は泣いた。 ある日のことだった。 ペーパードライバーの父が大きな車を借りて、弱りきった母と僕ら家族全員を乗せて出かけた。 出発して4時間も走っただろうか。到着した場所は、山に囲まれた片田舎だった。田んぼと農道と新らしい家の他には何もない。 父が新築の家を指差した。 「どうだい?これから僕たちはここで暮らすんだ。空気もおいしいし、ここで暮らせば病気だってすぐに治るさ」 「あなた…」 母の妹が一瞬不服そうな顔を見せたが、母と目が合うと目をふせた。 僕たちは新築の家に足を踏み入れた。全室フローリングの、今までの家とは正反対の家だった。 「気に入ったかい?」 「ええ。でも外の風景とはアンバランスな感じなのね」 「君が『死ぬ時は畳の上で死にたい』って言ったからさ」 「え」 「これで死ねないっしょ?」 それを聞いた母は大きく笑った。 母の笑顔を見たのはいつぶりだろう。僕らもつられて笑った。 「でも、ほんとにここならもっと生きられそう。ピーナッツも食べれるし」 そう言って母は、病院では禁止されていたピーナッツを取り出し、空に向かってはじいた。 いつもより高い軌跡を描いたピーナッツは、母ののどの奥に吸い込まれていった。 母がうめくような声を出した。 「ンガッンッン」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ それが母の最後の言葉になった。 でも母の死に顔はとても晴れやかだったから、僕はそれで良かったのだと思う。 それに、ピーナッツをのどに詰まらせて死ぬのは、ガンよりよっぽど、おっちょこちょいの母に似合ってる。 僕は自分のピーナッツをはじいた。 スローモーションで上がってゆくピーナッツを追いかけて上を向くと、視界いっぱいに空が広がった。どこまでも続く青い空に、手が届きそうな白い雲。真ん中の雲は、まるで母の髪型のような形をしている。 空を見たのは、久し振りだった。 もしかしたら母は、ピーナッツをはじいてこれを楽しんでいたのかも知れないなあ。 僕は「ルールルルッルー」と口ずさみ、今日のいい天気に感謝した。
2005年 10月 21日
僕にはこの世で一人だけ、憎んでいる人間がいる。父親だ。
その父親が今、集中治療室に入っている。 既に人工呼吸器がなければ呼吸もままならない状態で、医者の話では今夜が峠だということだ。 いつも豪気だった父の面影は、どこにもなかった。たるんだ体をしていた彼の胸元は、見ているのがつらいくらいやせ細っている。本当にこれが、僕の父なのだろうか? まるでリアリティがない。呆然と立ち尽くしていた僕は、母の涙を見てようやく、これは現実なのだと受け止め始めた。 子供の頃は、父のことが大好きだったと記憶している。 少し言葉を覚えるのが遅かった僕を、父は誰より可愛がってくれた。殆どの子供と同じように、その頃の僕にとっては、両親がすべてだった。 当時、父には親友がいた。父の遠い親戚にあたるその親友には、僕と同じくらいの年の子供がおり、僕たちは家族ぐるみで付き合っていた。僕は、そこの家の子供と仲良くなった。そうすると父が嬉しそうにしたからだ。 しかし、父はある日を境に変わってしまった。 その親友に裏切られたのだ。親友に一緒に事業を興そうと誘われた父は、言われるままに金を渡した。そして、親友はいなくなった。二世帯住宅の、大きな家ごと。 最初は「なにか事情があったに違いない。大丈夫。あいつは帰ってくるよ」と言っていた父も、数ヶ月が過ぎたころには動揺を隠しきれなくなっていた。親友と金を一度に失った父は酒を飲み、ギャンブルにはまった。 そして次第に、僕や母に手を上げるようになっていった。 僕は中学を出てすぐ、家を出た。 それから家には一度も帰っていない。もっとも母とは連絡を取り続けていて、子供が生まれた時には父に内緒で家に招待もした。 バイトから始めたデザイン会社の仕事も順調だった。35を越えた頃に独立をして、小さなデザイン会社を開いた。もちろん誰の力も借りず、一人で。 僕にあったのは、父のような人間になりたくないという一心だった。 そして昨日、久しぶりに母から電話があり、父が危険な状態であることを告げられた。 僕は悩んだ末、父の元に行くことにした。父の力を借りずに、こんなにも立派になったことを父に見せつけたかったからだ。 しかし父は、目を開けられる状態ではなかった。 椅子に座って父を眺める僕に、母親が近づいてきて声をかけた。 「お願い、お父さんに何か言ってあげて」 「…」 「あなたがお父さんを憎む気持ちは分かるわ。でもお父さんだって、ずっとあなたのこと気にしていたのよ」 そんなわけ、ないじゃないか。 僕が非難めいた視線を投げかけると、母は懐から一冊の通帳を取り出した。 「実は何年か前にね、お父さんが友達に貸したお金が返ってきたの。ほら、あそこあなたと同じくらいの年の息子さんがいたでしょ?その子が家を訪ねてきてね、お父さんが借りたお金を返しますって」 僕が渡された通帳を開くと、そこには見たこともないような額の数字が並んでいた。 「当時あそこの奥さんが病気だったらしくて、田舎で療養させるためにどうしてもお金が必要だったんですって、その子何度も何度も謝ってたわ。もう今じゃお父さんの友達も何年も前に亡くなっててね。ほんとはそのお金を受け取る必要もないんだけど、お父さんは受け取ったの。なんでか分かる?」 「…」 「あなたのためよ」 父が、僕のために? 「このお金は、本当はあなたのために使うはずのお金だったからって。いつか何かあった時に、あなたのために使えるようにって」 僕は病室に駆け込んだ。仰々しい機械が父の周りを囲み、父と僕との距離を作る。僕は機械の隙間から手を伸ばし、父の手を握ってうめくような声を出した。 「お父さん…死なないで」 背後で母の声がする。 「イクラが、イクラが喋った!!」 父ノリスケのもう開くことのない目に、涙が浮かんだように見えた。
2005年 09月 29日
ホーム 青山 豊
ホーム 梅田 一子 ホーム 梅田 英子 英子さんだ。 パパから「紹介したい人がいる」と言われてついて来た先には、僕がよく行く児童センターの職員、英子さんがいた。 「あまりにいきなり」「なんでパパと英子さんが」「これってサイコンってこと?」聞きたいことはたくさんあったけど、驚きすぎて言葉にならない。僕はわけがわからなくなり、かぶっていた帽子で顔を隠した。 落ち着け青山一樹。とりあえず順を追って思い出すんだ。 思えばパパの様子は最近おかしかった。 「人類の歴史を紐解けば、それが戦いの歴史だと言うことが分かるだろう。人は自分の領土を守り、そして拡大するために戦いを辞さない生き物なのだ」って、あれ?パパこんなこと言ったっけ?て言うか何?この記憶…あ、こないだの社会の授業で先生が言ってたやつだ。あー動揺してるな、俺。 こういう時は一回大きく深呼吸。少年野球の時だって、こうやって気持ちを落ち着けてピンチを乗り切ってきたんだ。大きく吸って、大きく吐く。 深呼吸でだんだん冷静になってくる自分が分かる。それはプールに最初足を突っ込んだ時の感覚に少し似ている。 思えばパパの様子は最近おかしかった。 「どうだ一樹、好きな子できたか?」と聞いてみたり、「なあ一樹、愛ってのは偉大な発明だよなあ」なんて遠くを見つめながらつぶやいたりする。まったくパパのキャラじゃない。パパは息子とのキャッチボールの時も全力でボールを投げたりする、なんて言うかもっと厳しい人なのだ。 しかし、らしくないパパはいつまでも元に戻らず、ある日「お前に紹介したい人がいるんだ」と告げられた。今度の日曜日に会って欲しい、と。 僕はそのことを児童センターで英子さんに話した。 「うちのお父さん、サイコンするかも」 「そう。一樹君は、お父さんが再婚するのはいや?」 「…わかんない」 「うん」 「でも、なんか、」 「うん」 「…わかんない」 僕がそう言うと英子さんは優しく笑って「じゃあ一樹君がわかるまで待ってもらえばいいよ」と言った。僕は、英子さんならお母さんになってもいいかな、と思った。 でも、まさか本当にお母さんになるかも知れないなんて誰が思うだろう? 僕は帽子のつばをちょっと持ち上げて英子さんを見た。どうやら英子さんも知らなかったらしく、かなり戸惑っているように見えた。 英子さんの隣には、英子さんの連れ子らしき女の子がいた。年は僕と同じくらいだろうか。恥ずかしそうにしている彼女を、どこかで見たような感じがする。 英子さんが意を決したように口を開く。 「一樹君、だったんだね。ええと、この子一子。ほら、ご挨拶しなさい」 一子は僕じゃなく、パパの方を向いて挨拶をした。 「こないだはどうも」 「君が一子ちゃんだったんだ」と、パパ。 あれ?知り合い? 「あれ?知り合い?」と、僕の思ったのと同じセリフを英子さんが口にした。 「まあ、少し。君こそ一樹と知り合いなの?」 「うん。児童センターでちょっと」 「そうなんだ」 そうなんだよ。パパの話もしてるんだ。英子さんは自分のことだとは思ってなかったみたいだけど。 それから全員口をつむんでしまった。重くて暗い沈黙がしばらく続く。 僕は混乱していた。みんなも混乱してるように見えた。何がいいとか悪いとかなんて、全然わからなかった。僕が思うことは、一つ。 「野球がしたいよ」 「野球?一樹、野球はまた今度にしないか?」 「野球がしたいんだ」 「一樹君」 僕をなだめようとした英子さんを手で制して、一子が言った。 「いいじゃない。野球、しましょうよ」 そうか、こいつ、こないだ僕からヒット打った女だ。 野球は、祝日で休みの児童センターですることになった。 英子さんは、「こんなの見つかったら何言われるか」とぼやきながら門の施錠を外した。休みの日の児童センターは閑散としている。児童のいない児童センターというのもなんか変だな、とぼんやりと思った。 僕はボールケースから一番きれいなボールを取り出し、パパに向かってほうり投げた。パパからいつものように強い球が返ってくる。僕はしばらくキャッチボールをして肩を慣らした。 それを見ていた一子が突っかかってくる。 「いいわよねあんたは。父親といつでもキャッチボールできてさ」 「何だよ」 「言っとくけど、あんたのお父さんとうちのお母さん、結婚するんだからね」 「なんでだよ」 「好き合ってるからよ」 「うるせ、パパはなあ」 「パパ?」 しまった。人前ではパパと呼ばないようにしていたのに。顔が赤くなる。 「パパって呼んでんだ?」 「…うちの父さんと母さんはな、リコンしたんだ」 「うちだってそうよ」 「好き合ってたってわかんないってことだよ」 「一樹…」 パパが悲しそうな声を出す。くそ、パパにこんな顔させたいんじゃないのに。 「わかんないんだよ。何にも。でも俺は小5だからわかんなくてもしょうがないんだ。だから野球で決めんだよ。わかんないから」 もうめちゃくちゃなのは自分でも分かってた。でも僕には他にできることもない。他にしたいこともない。野球で決めるしかないんだ。 僕が唇を噛んでいると、思いがけないところから声がした。 「野球で決めるのね?」 英子さんだ。 「一樹君のボールを打てば、一樹君のお母さんになってもいいのね?」 英子さんが僕の球を打つ?たしかに僕はまだ小5だけど、野球にはちょっと自信がある。30を越えた女の人が僕の球を打つなんて、冗談にしても笑えなかった。 「打てるわけないじゃん」 「分かんないわよ?やってみないと」 「…いいよ。バット持って壁の前に立ってよ」 ロージンの代わりに手に土をつけながら、社会の時の先生の言葉をもう一度思い出した。「人は自分の領土を守り、そして拡大するために戦いを辞さない」 先生の言うとおりだ。僕も僕の領土を守るために戦う。 僕は渾身のストレートを、英子さんの胸元めがけて思い切り投げた。 小気味良い金属音が、児童センターの空を突き抜ける。 夕暮れ時の土手。マンションの伸びた影が包む道を、パパと英子さんと一子は歩いていた。 僕はと言えば、パパの背中で眠ったふりをしている。英子さんに打たれて、合わす顔がないからだ。 「それにしても大きい当たりだったな」とパパが感心したように言った。 まったく大きい当たりだった。英子さんが打ったボールは、児童センターのグラウンドを飛び越えて、隣の林に音もなく吸い込まれていったのだ。 打球が林に消えていく瞬間を思い出すと顔が熱くなった。どうせもうすぐ家に着く。もう顔を上げないでおこう。僕はわざとらしく寝息を大きく立てるふりをした。 「そりゃそうよ。だってお母さん、ソフトボールの日本代表だったのよ」 「あっ、一子!言わないでって、言ったじゃない」 ソフトボール?日本代表?僕は思わず体を起こした。 「まじで!?」 「あ、一樹君起きてたの」 「まじで?英子さん日本代表だったの?」 「…」 「ねえ、まじで?」 「まじよ」と、一子。 「本当に?なんで言わなかったんだい?」 どうやらパパも初耳だったらしい。目を丸くしている。 「嫌われちゃうかと、思って…」 言われてみれば英子さんの腕はとても引き締まっている、アスリートの腕だ。でもまさかソフトの日本代表だったなんて。 なるほど一子の野球がサマになってるわけだ。ん?ちょっと待てよ? 「おい、お前さっき、あんたは父親とキャッチボールできていいわねえとか言わんかったか?」 「だってそうじゃない。私は父親とはキャッチボールなんてしたことないもの。まあお母さんはよく練習付き合ってくれるけど」 「…汚ねえ」 「て言うか、私は6年生なんだからね。これからはお姉さんって呼びなさい…ってあんた、何寝てんのよ」 こいつがお姉さんなんて、なんかの悪い冗談だろ? 僕は再びパパの背中で目をつぶった。ユニフォーム姿の英子さんを想像して、少しにやける。 三塁を蹴った英子さんは、ゆっくりとホームに向かっていた。
2005年 09月 06日
ホーム 青山 豊
ホーム 梅田 一子 女を作って出て行った元夫が最後に言ったセリフは、「君は強いから」だった。 そんなことは分かってる。私は強く生きている。 で、強いから、なに? 夏休みは、児童センターが一番賑わう季節だ。 プールや旅行に行けない子供がこぞって集まって、サッカーをしたりマンガを読んだり。 もしどこかの偉人が「児童センターは夏休みのために存在する」と過去に言っていたとしても、私は驚かないだろう。つまり、それくらい夏の児童センターは活気がある。 しかし、いつもはその活気の先頭にいるはずの子供が、今日はなぜか塞ぎこんでいた。どうやら少年野球の試合に負けたらしい。 「ほとほとあいつらには愛想が尽きたよ。勝つ気があっても勝てないんだから、勝つ気ないのに勝てるわけないでしょ」 「そうよねえ」 曖昧な返事をする私。子供の話を聞いてやるのも、児童センターに勤める者の仕事のひとつだ。大切なのは、8聞いて2返すこと。 「でもね一樹くん。チームメイトは信頼しあう事も大切よお。ほら、巨人みたいにスターばっかり集めてもダメだったりするでしょ?」 「関係ないよ。おれ松坂が好きだもん」 私は「松坂だって勝ててないじゃない」というセリフを飲み込み、「じゃあ、松坂みたいなピッチャーにならなくちゃね」と励ました。子供はのびのび、育てるものだ。 私は子供が好きだ。この仕事は知り合いの紹介で入っただけだけど、天職じゃないかと思う。これだけやっていられたらどんなにいいだろう。しかし、一年前に夫と別れ、娘を一人で育てなくてはならなくなった私にとって、児童センターの給料は決して充分だとは言えなかった。必然的に夜も働くことになる。 娘には迷惑をかけていると思う。でも、他に選択肢もない。 かくして私は、今日も夜の職場「スナックたけとよ」に向かうのだ。 「スナックたけとよ」は、私の住むアパートから少し離れた場所にある(知り合いに会わないためだ)、田舎にしては割と賑わった店だった。お店にはママの他に常に3人は女の子がいて、それでもいつも忙しい。 団体のお客を帰し、私が一息ついていると「英子さんの腕、すごい引き締まってますね」と同僚のあずさが話し掛けてきた。あづさはまだ20そこそこだが、店では私よりずっと古株だ。しかし、男に守ってもらわないと生きていけない典型的な「弱い女」の彼女が、私は少し苦手だった。 「そう?まあスポーツやってたからね」 「そんな腕なら男の人も怖くないですね~」 「そうよー。男なんてかわいいもんよ」 冗談ぽく言ったが、本音だった。 「わたしのカレ、暴力ふるうんですよ~。あ、そんな大したアレじゃないんですけどね?」 私は何も言わなかった。彼女は返事が欲しいわけではないと思ったからだ。しかし、女に暴力を振るう男も、それを許してしまう女も嫌いだと思った。 その日の夜は少し酔ってしまった。 帰り道自転車をこぎながら、あづさの言葉を思い出した。男の暴力を容認してしまう彼女の気持ちが私には分からない。ただ苛ついて、乱暴にペダルを漕いだ。 家に着いたころには、深夜2時を過ぎていた。これは明日の児童センターの仕事に差し支えるかも知れない。そんなことを考えながら水を飲んだりしていると、娘の一子が起きてきた。 「あ、ごめん。うるさかった?」 「ううん。お仕事お疲れさま。私今日ね、練習試合でね」 「ごめん一子、お母さんちょっと疲れてるのよ」 自分で自分の言葉に驚いた。今、私何て言った? 「ええと、何?今日活躍したの?」 「ううん、もういい。おやすみなさい」 寝室へと戻る一子の背中を呆然と見つめた。頭が痛い。 翌日の児童センターの仕事中も、時折昨日の失敗が頭をかすめた。自分の子供も大切に出来ない私が、他人の子供をどうしようと言うのだ?私が夜も働いていることは、本当に一子のためになっているのか?昨日のアルコールが残っていたこともあり、思考はぐるぐると回転した。 「英子さん、今日調子悪いですね」 あづさに声をかけられ、はっとする。私はいつの間にか、スナックたけとよに来ていた。 「ああ‥ごめん」 「いや、謝るところじゃないですけど、大丈夫ですか」 「うん、大丈‥」 そこまで言った時、あづさの腕に青あざがあるのが見えた。思わずあづさの腕をつかむ。 「ちょっと!これ?彼氏がやったの!?」 あづさは素早く腕を隠した。 「いや、遊んでただけなんです。そんなアレじゃないし、痛くもないんです」 「あんたがそうやってかばうから男が増長すんのよ。女に暴力を振るう男なんてやめときな。弱いだけだよ」 そう言うと、あづさはとても悲しそうな顔になった。そしてしばらくの沈黙の後、ぽつりと言った。 「‥弱いから、優しくできることだってあるんですよ」 あづさはそう言って、自分の青あざを優しく撫でた。私は何も言うことが出来なかった。 仕事後、私は言い過ぎてしまったことを詫びるため、店の外であづさを待つ事にした。降り出した雨を防ぐため、軒の下に入って待っていると、視界の端に見慣れた男が写った。 「なんであいつが‥」 別れた夫だった。私はとっさに身を隠す。 なんであいつが、ともう一度心で繰り返した。あいつは離婚届を置いて女と出て行ったはずだ。私に未練があるとも思えなかったし、第一、この場所を知るはずがない。 私は身を隠しながら、しばらく彼を観察していた。しかし彼は、明らかに誰かを待っているふうだった。まさか、本当に私を待っているのだろうか?何食わぬ顔で、彼の前に出て行って、反応を見てみようかしら。 私が彼に向かって一歩を踏み出そうとしたその時、背後から声がした。 「ごめーん。おそくなっちゃった」 あづさだ。でも、なんであづさが? 「お前は化粧が長いんだよ。どうせ俺しか見ねんだから」 「あんたのためでしょーが」 元夫とあづさのやりとりはとても自然だった。 なるほど、元夫が新しく作った女とは、あづさのことだったのか。 確かにあづさなら弱くて守ってあげたくなるだろうなあ。なんて変に納得してしまったりして。 遠くで二人が話しているのが聞こえる。 「腕、痛むか?ごめんな」 「ううん、全然」 あづさが嬉しそうな顔で元夫の腕に抱きついた。元妻としては嫉妬してもおかしくないシーンだと思うのだが、特にそういうこともなかった。 ただ、優しく見つめ合う二人を見ていたら、私も次の恋の時は少し弱くなってみようかなという気にさせられた。弱くなって、男の前で泣いてみたりするのも私らしくなくていいかも知れない。そんな自分を想像して少しにやけた。 ネオンが消えた夜の町に優しい風が吹く。 私も優しくなりたいな、と思った。
2005年 07月 31日
ホーム 青山 豊
「なあ一子、この試合でお前より俺のが打ったら、俺と付き合ってくれよ」 多村のあまりに勝手な申し出に少し吹き出す私。 ねえ多村、男女の仲とかそういうのって、なんてゆうかもっと曖昧なものなんじゃない?少なくともそんな簡単に決めたりするもんじゃないと思うのよ。まあ、想像ですけどね。小6だし。 私はそれを口にこそしなかったものの、私の納得のいってない顔(当たり前だ)を見てとったのか、多村は不満そうに続けた。 「いいじゃん別に。好きなやつ、いないんだろ?」 確かにいない。私の好きな人は、一年前にいなくなってしまった。 私の両親は一年前、離婚をした。 小さい私に詳しい事情は教えられなかったが、どうやら父が新しい恋人を作って出て行ったようだ。子供だって馬鹿じゃない、それくらいは感じ取れる。 親を責める気持ちも無い。親だって男と女で、私という存在を抜きにすれば、三十二はまだ充分恋を楽しめる年齢だという事だって分かっているつもりだ(物わかりのいい子供だと褒められてもいいと思う)。 しかしそれとはまた別に、父が母以外の女性と、と考えた時、今までに無いほど胸が高鳴る自分がいた。 その時から私は、父を一人の男性として見るようになった。でも、父はもういない。 父がいなくなってから、母は昼も夜も仕事を始めた。 それでもうちにお金の余裕は無いはずだったが、「時間をもて余した子供は非行に走りやすい」という話をどこからか聞きつけた母は、私を多くの習い事に行かせた。水泳、ピアノ、公文、英会話、ガールスカウト…。私はその中のほとんどをすぐやめてしまったが、一つだけ続いているものがある。 少年野球。 野球をやっている時だけは、煩わしい女の自分を忘れる事が出来た。 実の父親への恋心という、小6に似つかわしいアブノーマルな悩みを、バットを振って吹き飛ばした。ふくらんできた胸は少し邪魔だったが、私には野球の才能があったし、楽しかった。そして何より、「少年」野球というのがいい。 それなのに、多村の奴ときたら。 「約束だからな。約束は守るもんだからな」 昨日の雨でグラウンドに溜まった水をスポンジで取るという作業中にもかかわらず、多村のアプローチは止まなかった。 野球の時の私は男なのに、まったくうるさい男だ。。 「あんたねえ、そんな事新井君より打てるようになってから言いなさいよ」 「新井はファーストだから俺より打つのは当たり前なんだよ」 さっぱりわけが分からない。多村はまるで、この水はけの悪いグラウンドみたいにうっとおしい。 今日は、私の所属するあづまクラブと半田ボーイズの練習試合が行われる。 前日の雨でグラウンドはぬかるんでいたが、今日は朝からいい天気で、クマゼミがうるさいくらいに鳴いていた。 今日の試合は再来週から始まる市民大会への調整のつもりだった。相手の半田ボーイズはどちらかと言えば弱小チームで、毎年のように県大会まで駒を進める我があづまクラブとは実力に雲泥の差があるはずだったのだ。 しかし、「野球は何が起こるか分からない」。 「はずだった」試合は、現在5回を終了した時点で1ー2。あづまクラブは1点差を追いかけていた。 「半田なんかに負けてて、親御さんたちに恥ずかしいと思わねえのか?絶対この回で逆転してこい!」監督が怒鳴る。 「くそ、あの球見たら、そんな簡単じゃないことくらいわかれよ。ハゲ」と誰かが小声でつぶやいた。まったくその通り。半田ボーイズのピッチャーは、それくらい素晴らしかった。 感情を前に出し、ストレートをテンポ良く投げ込んでくるピッチングは、敵ながらにして見ていて小気味が良いほどだった。今までの試合では見た事が無かったから、多分5年生か転校生なのだろう。 とは言え感心してばかりはいられない。試合は残すところあと2イニングで、3番バッターから始まるこの回を逃せば、あづまクラブにチャンスは無い。 よし応援だ、応援をしなきゃ、と顔を上げると、4番の新井君が豪快にスイングアウトの三振を喫したところだった。ツーアウト。 5番センター多村。 多村も私もまだ無安打だった。ここで彼にヒットが出れば、その次のバッターの私に回るわけだが、例の「約束」が多村の勝利に終わる可能性はかなり上がる。約束を守る気は無いとは言ってもそれは嫌だなあ、と複雑な思いで打席の多村を見つめた。 カキン、と短く甲高い音が響き、多村の打った打球はフラフラと左中間に上がった。平凡なフライだったが、お粗末な相手の守備では打球に追いつけず、ツーベースヒット。二塁ベース上で「見たか、これが愛の…」と叫ぶ多村の言葉には耳を塞いで、自分の打席に集中する。 なぜかどこかで聴いたクラシック音楽が、頭の中で鳴り響いていた。ああ、私、緊張してるな。 しかし相手のピッチャーは明らかに苛立っていた。攻めるなら今だ。 クラシックはどんどん大きくなる。あまりの音量に頭が割れそうだった。 バットの金属音で意識が戻り、私は気付いた時には駆け出していた。 何が起こったのかは理解出来なかったが、走りながら周りに目をやると、視界の角でセンターとライトがボールを追いかけているのが見えた。私はどうやら、右中間を割る打球を放ったらしい。どう打ったのかはさっぱり分からないけど、とにかく今は走るしかない。 センターがクッションボールの処理にもたつく間に、既に私は二塁を蹴っていた。これはランニングホームランになりそうだ。口元が緩みそうになるを抑えながら、ボールをまだ中継に渡っていない事を横目で確認し、三塁を蹴った。自然と三塁側にある相手のベンチが目に入ってくる。 私を恨めしそうに見るベンチの中に、いなくなったはずの父がいた。 呆然と立ち尽くす私。足が動かない。 私はようやく返ってきたボールをタッチされ、アウトになる。周りから歓喜の声と絶望のため息が漏れる。その瞬間、拘束具を外したように身軽になった私は、父の元へ駆け寄った。言いたい事がたくさんあった。 しかし、近くで見るその男の顔は、父のそれとは似ても似つかないものだった。意識が遠のく。 クラシックはいつの間にか、消えていた。 試合は結局、6ー2であづまクラブが勝利を納めた。 同点にされ集中力を欠いた半田ボーイズのピッチャーが、最終回に大崩れしたのだ。ゲームセットを待たずにマウンドを降りる事になった時の彼は、動物園で怒り続けるライオンをイメージさせた。不満が体中に満ちていた。 私達の監督はと言えば、どうやら今日の試合が気に入らなかったらしい。不満を隠そうともしない彼を見れば、午後からの練習はきつくなるだろうという事は想像に難くなかった。やれやれ。なんで勝ったのに、こんな暗い気持ちで昼食を取らねばならないのだ。 私がコンビニで買った2個目のパンの袋を開けようとした時、さっき父と間違えた男が声をかけてきた。思わず身構える私。 「すいません。良かったらこれ食べませんか?息子のお弁当だったんだけど、怒って帰っちゃったもんで…」と、男。 「なんで私」と言いかけてやめた。私のコンビニのパンを見て申し出てくれたのだろう。少し恥ずかしかったが、結局は誘惑に負けて、言葉に甘える事にした。 さっきより近くで見た男の顔は、やっぱりどこか少し父に似ている気がした。 男がくれたお弁当はなぜかお寿司だった。 それを見た多村が「変なの」と言うので、体で隠すようにしてイカのお寿司をつまむ。イカはわさびがとても効いていて、思わず顔をしかめる私。 それを遠くで見ていた男は、少し笑っているように見えた。
2005年 07月 25日
「あなたはつまり、サディストなのよね」
あれはもう何年前になるだろうか。昔好きだった女が僕にこう言った。 僕は心の中で「そうだ」とつぶやく。そうだ、僕はサディストなのだ、と。 ただ、僕は暴力を振るってそれを楽しんだりはしない。確かに僕は他人が苦しんでいるところを見るのが好きで(それについては過去のトラウマやらなんやらが関係してくるのだが、愉快な話でも無いのでここでは割愛する)、ただそれだけだ。言ってみれば、僕は穏健派のサディストなのだ。 現に、僕が君に手を上げた事が一度だってあったかい? 「あなたは私に手を上げたりはしないわ」と、彼女。僕は心の中で言ったはずのセリフが彼女に筒抜け(のよう)で驚きを隠せなかったが、彼女はそんな事はお構いなしに続けた。 「でも、あなたは私が泣いて告白しなかったら、今頃二人でなんかいないはずよ」 僕はもう一度心の中で「そうだ」とつぶやく。そうだ、僕はサディストなのだ。ただし穏健派の。 「人と歯の関係と言うのは、夫婦に似ているんです。僕らは歯と一生付き合っていかなければならないし、毎日愛を持って接さなければ駄目になってしまう」 僕の職業は歯科医師である。 歯科に来る患者は(当たり前だが)例外なく皆苦しんでおり、それを見るのは僕にとって楽しい事だった。趣味と実益を兼ね備えた、なんて事はあまり言いたくないが、まあ性格上の特性を活かした、いい仕事だと思っている。 上で述べたフレーズは、僕が患者に対して好んで使う例えだ。 まあこのフレーズを言った時の患者の反応が別段いいと言うわけでも無いのだが、こういうのは決まり文句みたいなものなのだ。口下手な僕にとって、全ての患者に対して違うトークを繰り広げるなんて事は、親不知の治療より難しいのである。 とは言え、このフレーズはもしかしたらあまり良くないかも知れない。 なにしろ女性を一人、それで泣かせてしまった。 彼女は僕の患者の一人だった。 歳は三十を少し過ぎたくらいだろうか。半袖のシャツからのぞく腕は引き締まっていて、専業主婦ではないのだろうな、と想像する。診察に来る時間も殆どが夜だ。 治療の痛みにも強く、こちらのな指示にもきちんと従う彼女はまさに、理想的な患者(変な言葉だ)と言えた。 しかしある日、我慢強いはずの彼女から、治療中にすすり泣くような声が聞こえた。 そしてそれは、僕がいつも他の患者にするように、例のフレーズを言った直後の事だったのだが、僕はその因果関係に気付く事が出来ず「痛かったですか!?」と聞いてしまった。 彼女は「いえ、続けて下さい」とだけ、その時は答えた。 治療後、その日の予約はそれで終わりだった事もあり、彼女を呼び止めた。 「今日は申し訳ありませんでした」まだ気付いていない僕。 「いや…ほんとに気にしないで下さい。すいません。個人的にちょっとあって…」 個人的と言う言葉に少し壁を感じながらも、僕は続けた。歯科医として、自分のミスでは無かったと言う事を証明したかったのかも知れない。 「仰って下さい。そうでないと僕は家に帰れない」 「…」 彼女は困ったような顔をして僕を見たが、観念したように話し出す。 「…実は、少し前に離婚をしまして、その事で…」 僕はようやく自分の失言に気付く。しまった。顔が青ざめてゆくのを感じた。 彼女はそれを敏感に感じ取り、あわててフォローを入れる。 「いや、先生が悪いんじゃないんです。ちょっと娘の事とか思い出しちゃって。あ、私が引き取ったんですけどね。こんな自分の歯もろくに管理出来ないような母親で、あの子はほんとに良かっ、たのかしら、って…」 そう言う彼女の頬に、今度は大粒の涙がこぼれ落ちた。 緊張感に満ち満ちた美しい涙。僕の唾を飲み込む音だけが辺りに響く。 沈黙を破ったのは、僕が無意識の内に放った言葉だった。 「…僕もなんです!離婚して子供が一人、僕は男の子ですけど、だから、だから何ってわけでもないんですけど!」 もう好きだった。 昔好きだった女が息子にこう言った。 「一樹、ママとサディストのパパとどっちが好き?どっちと一緒に住む?」 僕はそのあまりにも刺のある言葉に、思わず「穏健派の」と付け足す。 十歳にしてサディストや穏健派の意味が分かっていたとは思えないが、息子は「パパ」と答えた。 「パパは野球してくれるから」と。 僕が「好きな人が出来た」と言ったら一樹はどんな顔をするだろうか。 その時の一樹の嫌そうな顔を想像し、一人でにやついた。
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||